海外子会社の退職給付制度を現地に任せきりにするリスク

企業が従業員に提供する退職給付制度は、その積立額や負債の大きさにより財務諸表に多大な影響を与えます。従業員の老後保障という役割を担っており、特に働き盛りの従業員にとっては関心の高い制度です。そのため国内の制度については、しっかりした運営体制を築いている企業が多い事でしょう。その一方、海外の子会社が提供する制度については、現地に一任という企業が多いのではないでしょうか。
本コラムでは、海外子会社の退職給付制度が抱えるリスクと、それに対処するため親会社がどのような方策を取るべきかについて考えてみたいと思います。
目次
1.親会社が制度運営を現地に一任する理由
従来からグローバルに事業を展開している多国籍企業だけでなく、クロスボーダーM&Aによる海外企業の買収など、日本企業が海外子会社を有する理由は様々です。しかしその中で、子会社が提供する退職給付制度を理解している、と言い切れる企業は少数派ではないかと思われます。
確かに日本企業にとって、海外の制度を理解するのは難しさが伴います。そもそも企業年金制度は専門的な分野であり、各国毎に法制や税制、市場慣行が異なります。社会保障制度の上乗せとして企業が給付を提供する国も多く、その場合は社会保障制度の仕組みを知る必要も生じます。それらの課題に言葉の障壁が重なり、結果として海外の制度マネジメントを現地の担当者に任せきり、というケースが多いと感じます。特にM&Aを通じて傘下に入った子会社については、直轄の子会社と異なりある種の遠慮があって親会社が放任する、という事もあるでしょう。
2.海外子会社の退職給付制度が抱えるリスク
海外子会社の制度には、具体的にどのようなリスクが伴うでしょうか。
まず財務面では、退職給付債務・年金費用の計算ミスや計上漏れによる連結決算の「サプライズ」が考えられます。例えばドイツの企業年金は確定拠出年金の形を取っていますが、積立方法によっては国際会計基準上、退職給付債務の対象となります。ある日本企業のグローバル経理担当の話では、いつの間にかドイツ子会社で理由不明の退職給付債務が計上されていた、という事があったそうです。時間の制約もありそのまま連結財務諸表に反映したのですが、後から調査すると制度の積立方法の変更による処理と分かりました。結果として問題は無かったのですが、子会社の処理に本社側が何のチェックも入れられない現状に危機意識を抱いた、と仰っていました。
また、現地担当者が親会社の承認を得ず過度にリッチな制度を導入し、不要なコスト計上を招いたケースもありました。日本にも当てはまりますが、一度設立した制度の給付切り下げは容易ではなく、その後長期間にわたり連結決算に影響を与えることになります。
一方人事面では、市場慣行に沿っていない旧式の制度、あるいは市場慣行の平均的給付水準よりかなり劣る制度を提供している場合、新規採用やリテンションに悪影響を及ぼす可能性があります。また給付に関する規定が明文化されていない場合、現地での評判リスク、あるいは訴訟リスクを抱える事にもなりかねません。
そもそも海外、特に英米の年金制度では、日本のようにDBを終了してその資産をDCに移換するといった変更は法制上難しく、DBを閉鎖・凍結して将来分のみ移行するという変更がほとんどです。また日本のように退職時に一時金を支給するのではなく、年金、しかも終身年金での支給が原則です。つまり一旦DBへの加入資格を与えてしまったら、その従業員が退職して死亡するまで支給を行う義務を負う訳です。閉鎖・凍結したDBは企業にとってビジネスに何ら付加価値を与えず、ただ資産運用や金利に関するリスクのみを抱えることになるのです。
3. 親会社に求められる対応策
それでは親会社としては、どのような対応が求められるでしょうか。
まずは何も情報がない状態を脱して、少なくとも主要国については制度内容を把握する事が必要だと思います。制度の全てを理解する必要はありませんが、制度の種類や加入対象者、掛金の設定方法や運用方針と資産のアロケーション、給付の算定方式や支給方法など、概要だけでも把握する事から始めましょう。できれば対象国の社会保障制度も含めた全体像の特徴だけでも理解しておくと、今後の関連法制変更への対応を迫られた時などに役立つと思われます。公的年金の上乗せ制度として独自の企業年金を提供している国の場合は、当然その公的制度の内容を知っておくことが必要です。
なお、調査の負荷とそれによって得られる利益を勘案すると、全ての進出国の制度について調べる必要は無く、何らかの基準を設けその対象となった海外子会社の制度のみを調査すればよいでしょう。例えば従業員数が多い生産・物流拠点のみ、あるいは一定以上の年金費用・退職給付債務を計上している海外子会社のみ、という形で選定します。その国々に、複雑な制度のため過去に退職給付債務の計算ミスがあったとか、給付に関して従業員からの訴訟があった等の国を追加して調査対象を確定します。
この海外子会社の調査は、ただ単に現行制度の内容を把握する事が目的ではありません。現行の法令や税制に照らして問題が無いか、市場慣行に沿った制度であるのか、給付水準は市場慣行と比べてどうなのか、といった点について、現地の専門家の意見も併せて確認するようにしましょう。その上で現行制度に課題があるのか、どのように解決していくのか、それらを現地と話し合う、という次のステップにつなげていく事が肝要です。
ただし親会社と子会社の関係にもよりますが、これまで任せきりだった子会社にいきなり年金制度の情報提出を命じると、子会社側が警戒する可能性があります。例えば国際会計基準の導入に併せ、リスク把握の観点から制度の調査を実施したい、などの理由を付けて情報収集を図れば、現地からの協力を得やすくなると思われます。あるいは親会社の経営層から現地に対して協力の申し入れを行うのも、有効な手段となります。この調査を通じて子会社とのパイプの関係強化が期待できますので、これを機に今後の制度改定や重要な法令変更に関する親会社への報告体制を図るべきでしょう。

4.大企業向けの欧米型グローバル年金ガバナンス
最後に、世界中に多くの拠点を持つ大企業向けに、欧米のグローバル企業の取り組みを紹介します。
私が知る限り、親会社が退職給付制度の運営について海外子会社に一任する、という行動を欧米のグローバル企業で目にすることはありません。その理由は、グローバル年金ガバナンスという概念が浸透していることが大きいと推測されます。
それらの企業では、アジアや北米など各地域の統括本部あるいは本社自体が、主たる海外拠点の退職給付制度を非常に良く理解しています。日本の年金制度改正法が2022年4月より施行されますが、このような法制や会計・税制の変更は、世界中で絶え間なく生じています。欧米のグローバル企業は、事業展開している国で生じる退職給付関連の法制や税制の変更について常にモニタリングを行い、制度の変更など対応が求められる場合には、速やかに本社・地域統括本部と連携し対処しています。
このような運営体制の背景として、それらの企業が、強力なグローバル年金ガバナンス体制を敷いている事が挙げられます。グローバル年金ガバナンスとは、企業グループ全体で世界中の退職給付制度に適用するガイドラインを制定し、新規の制度設立・変更に際しては、本国および地域統括本部の承認を必要とする体制構築を指します。例えば子会社で年金制度を設立する場合は確定拠出型しか認めない、といった明文化されたルールがガイドラインであり、これを各国の子会社に順守させるのです。本社や地域統括本部は、制度設立や改定の承認を行うため必要であるが故に、各国の関連情報を継続的に入手しています。
究極のガバナンス体制ではありますが、この体制の維持には人的資源もコストも必要ですので、海外でかなりの規模の事業展開を行う企業に限って検討すべきかと思われます。
海外の制度を取り巻く状況が変化していく中、親会社が現地に任せきりで何も知らないという状態は、海外子会社の退職給付が抱えるリスクを考えれば危険と言わざるを得ません。IICパートナーズは、世界有数の年金コンサルティンググループであるアベリカ・グローバルの一員として、世界約50か国の独立系年金コンサルティング会社と提携しています。各国の年金制度に精通し、制度導入や見直しの経験も豊富な現地の専門家と連携して、日本企業による海外子会社の制度調査を支援いたしますので、ぜひお問い合わせください。
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この記事を書いた人 津田 真吾 運用コンサルティング部 |
大阪⼤学経済学部卒/日本生命保険相互会社に⼊社。 外国証券の管理、法人営業、企業年金のコンサルティングに携わる。子会社のシンクタンクで欧米年金市場の調査研究も行う。その後、タワーズペリン(現ウイリス・タワーズワトソン)に⼊社。ベネフィット・コンサルタントとして、制度設計、クロスボーダーM&Aのデューデリジェンス、日系企業の海外子会社のベネフィット・ベンチマーキング等に従事。その後2019年、株式会社IICパートナーズにコンサルタントとして入社。 |
※当コラムには、執筆した弊社コンサルタントの個人的見解も含まれております。あらかじめご了承ください。