企業年金とESG投資
ESG投資とは ※1:環境(Environment)社会(Social)ガバナンス(Governance)の頭文字をとったもの。 |
今日の投資の分野では、利益や財務状況などの財務的要素だけでなく、非財務的要素である環境、社会への配慮、ガバナンスの重視などのESG要素を考慮し評価することが求められるようになっています。また、企業に対してもESG要素を重視した経営が求められています。
最近は、企業年金の皆さんに運用機関からのESG商品の売込みが活発化しており、当社へもESG投資に企業年金としてどう取り組むべきかというご質問をいただくようになっています。
ESG投資について、いろいろな観点からの議論が可能ですが、本コラムでは、企業年金のESG投資を取り巻く法令やルールについて整理をしたいと思います。
1.倫理的投資からESG投資への発展
非財務的要素を考慮する投資の歴史は古く、1920年代のたばこ、アルコールなどに関わる企業等を排除する、教会などの宗教的・倫理的投資から始まったとされています。また、1960年代以降には公害企業や軍事産業への投資を排除するよう求める環境、社会運動なども現れてきました。さらに、今世紀になると、CSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)を重視する動きが広がり、SRI(社会的責任投資)が注目され、投資においてESG要素を考慮すべきであるという議論が拡大してきました。
そうした中、2006年4月にアナン国連事務総長の下で国連グローバル・コンパクト※2と国連環境計画・金融イニシアティブ※3により、国連責任投資原則(以下PRI(Principles for Responsible Investment))が策定され、ESG投資の拡大に弾みがつくことになりました。
このPRIは機関投資家の投資分析と意志決定のプロセスに、ESG課題を組み込むことを求めるものでした。それまでの倫理的な投資やSRIでは企業の責任等が重視されるあまり、収益性が犠牲になるという懸念が指摘されていました。しかし、PRIでは投資利益を犠牲にするのではなく、受益者の最善の利益のために、機関投資家の投資評価プロセスに、ESG課題を組み込むことを求めるもので、この受託者責任と矛盾しないという、PRIの考え方が、その後のESG投資拡大へのターニング・ポイントとなったと評価されています。
その結果、GSIAのレポート※4によれば米国、欧州を中心にESG投資が拡大し、2020年における残高は35兆ドルを超え、日本のESG投資残高も3兆ドル近くに達しています。
また、PRIの賛同者も順次増加し、現在では、5,000近い機関がPRIの署名者となり、日本でもGPIF(年金資金管理運用独立行政法人)などの有力な年金基金、主要な資産運用会社など100を超える機関がPRIの署名者になっています。
※2:UNGC(United Nations Global Compact)国連と民間企業等から成る、健全なグローバル社会を築くための世界最大のサステナビリティイニシアチブ。500近い日本の企業等も参画している。https://www.ungcjn.org/gcnj/about.html
※3:UNEP FI (United Nations Environment Program Finance Initiative)国連環境計画(UNEP)は国連の補助機関で「人間環境宣言」および「環境国際行動計画」の実行機関。また金融イニシアティブ(UNEP FI)はUNEPの下で、ESG(環境・社会・ガバナンス)への配慮を統合した金融システムへの転換を目指すパートナーシップ。日本からも大手金融グループ14社が参加している。
※4:「Global Sustainable Investment Review 2020」(GSIA) GSIA(Global Sustainable Investment Alliance)では、グローバルにサスティナブル投資を継続的に調査し、隔年ごとに公表している。
2.企業年金の資産運用規制とESG投資
企業年金の資産運用規制とESG投資という点では、まず、確定給付企業年金法(以下DB法という)とその下の、関係法令(通知を含む)があります。ESG投資という点では、次の2つの点がポイントとなります。
一つはDB法です、事業主または基金の理事(以下事業主等という。)には忠実義務が課されています。この、忠実義務により、事業主等はもっぱら加入者等の利益を考慮すべきであり、これを犠牲にして加入者等以外の利益を図ることが禁止されています。ここで、「加入者の利益」とは、経済的な利益のことと考えられています。例えば、A,Bの2つの運用商品を比較選択する場合、双方のリスク特性やリスク水準が同等であるにもかかわらず、A商品が社会的なインパクト等を考慮する結果、B商品よりもリターンが劣る場合には、A商品を選択することは原則としてできません。これを他事考慮の禁止といい、年金資産運用の基本的な考え方の一つになっています。
二つ目は、法令それ自体ではありませんが、2018年4月に改訂された、運用ガイドライン※5では、事業主等は運用受託機関の選任にあたって、運用受託機関の日本版スチュワードシップ・コード(以下SSコードという。)の受け入れや取り組みの状況と並んで、ESG(環境・社会・ガバナンス)に対する取組みの考え方を定性評価項目とすることを検討することが望ましいとすることが書き加えられました。これは、GPIFがPRIの署名者となり、ESG投資を進めることを表明したこと。また、政府の成長戦略において企業年金等におけるSSコードの受け入れの促進が示されたことなどの動きを背景としたものです。
企業年金の資金運用が委託運用を原則としていることから、そのESG投資を考える際にも、まずは運用受託機関の評価項目の一つとすることが適切であると判断されたものと考えられます。また、このガイドラインでは「検討することが望ましい」と抑制された書きぶりであることに注意したいと思います。
※5:厚生労働省年金局長通知「確定給付企業年金に係る資産運用関係者の役割及び責任に関するガイドライン」
3.SSコード、CGコードで企業年金に求められていること
SSコードも企業年金の資産運用等に言及しています。SSコードは、投資と対話を通じて企業の持続的成長促すための「責任ある機関投資家」の諸原則 を定めたものです。2020年3月の再改訂では、サステナビリティ(ESG 要素を含む中長期的な持続可能性)を考慮した企業と機関投資家の建設的な対話を通じて、中長期的な投資リターンの拡大を図ることが重要である旨が示されました。機関投資家の一つである企業年金にも、ESG要素を考慮したスチュワードシップ活動を進めることが期待されています。なお、ここで企業年金という場合、基金型だけでなく規約型も含まれます。他方で、企業年金のスチュワードシップ活動は、「自らの能力や規模に応じ、運用機関による実効的なスチュワードシップ活動が行われるよう、運用機関に促すべきである。」とも言及されています。
SSコードにおいて、ESG要素の考慮は事業におけるリスクの減少のみならず、収益機会にもつながるものとされています。また、企業年金では、委託運用が原則であることをふまえ、運用機関のスチュワードシップ活動をモニタリングする役割が期待されています。さらに、企業年金が自らの能力と規模に応じてこれを行うべきこととされ、資産規模の大きくない企業年金が多数を占め、その多くはショートスタッフであるという企業年金の実情に配慮した内容になっています。
次に、コーポレートガバナンス・コード(以下CGコードという)はどうでしょう。2021年6月のCGコード改訂により、「持続可能な開発目標」(SDGs)が国連サミットで採択され、中長期的な企業価値の向上に向け、サステナビリティ(ESG要素を含む中長期的な持続可能性)が重要な経営課題となっているという認識の下で、気候変動などの地球環境問題への配慮、人権の尊重、従業員の健康・労働環境への配慮や公正・適切な処遇、取引先との公正・適正な取引、自然災害等への危機管理など、幅広いサステナビリティの課題(ESG課題)に、積極的・能動的に取り組むよう検討を深めることが、上場会社に求められることとなりました。CGコードは取引所の上場規定に組み込まれているため、ESG経営を進めることは上場企業の重要な課題となっています。
CGコードと企業年金の関係では、原則2-6で「企業年金のアセットオーナーとしての機能発揮」について言及されています。具体的には、企業年金の専門性を高めるため、人材の計画的登用や配置など人事、運営両面での必要な取り組みと、企業年金と会社の間で生ずる惧れのある利益相反の適切な管理を行うことを求めています。
なお、「母体企業がESG経営に取り組んでいるので、企業年金もESG投資を行うべきでは?」というご質問をいただくことがあります。ただ、企業年金は加入者等のための制度で、その資産運用は加入者の利益を基準に判断すべきであることに留意したいと思います。
4.積立金基本指針の改訂とその影響
年金資金は企業年金だけでなく公的年金があり、資産残高という面では公的年金が大きなウェイトを占めています。我々の国民年金、厚生年金といった公的年金の資産運用は、GPIFのほか公務員等共済組合が行っています。この公的年金運用の基本ルールが「積立金基本指針※6」です。2020年2月にこの積立金基本指針は、ESG投資を積極的に評価、推進する内容に改訂されました。
それまでの公的年金のESG投資は株式運用について、収益確保のため、ESG要素の考慮を個別に検討するというものでした。これを、株式という限定を外して、債券などの幅広い資産に対象が広がることになりました。また、投資先や市場全体の持続的成長が、長期的な投資収益の拡大に必要であり、被保険者の利益のために長期的な収益を確保する観点で、ESGを考慮した投資を推進することが重要で、個別に検討した上で必要な取組みを行うことが示されました。この積立金基本指針の2020年2月の改訂はESG投資の拡大を後押しするものと評価されています。
しかし、公的年金の原資は国民から法律に基づいて徴収された社会保険料であるのに対し、企業年金はそれぞれの私企業が従業員のために積み立てたものであるという点で、資金の性格は異なっています。
他方で、受託者責任という観点ではその忠実義務の名宛人は、公的年金では被保険者、企業年金では加入者と用語の使い分けはあるものの、現在と将来の年金受給者である点で差異はなく、その資産運用の考え方としては共通する部分があります。加えて、米国でも、米国労働省のESG投資に関する規則が、ESG投資を拡充する方向で改訂※7される見込みであることなど、企業年金の資産運用においてESG投資を後押しする方向にあります。
その意味で、2.で述べた2018年4月改訂の運用ガイドラインは、既にその改訂から4年が経過し、この数年間の、ESG投資を巡る議論の進展を考慮すると、日本政府の政策的な方向性や、グローバルな経済や社会の動きにもそぐわないものとなっている面もあります。企業年金のESG投資について、何らかの改訂、補充的なアナウンスメントがなされる可能性など、今後の動向に注意が必要です。
※6:厚生年金保険法等により主務大臣が定めるもの。(主務大臣とは厚生年金を所管する厚生労働省及び公務員等の共済制度を所管する財務、総務、文部科学の3省の大臣をいう。)
※7:トランプ大統領の下で発出されたESG要因の考慮は稀な場合であるという規則を、バイデン大統領の下でESG投資を拡充する方向に改訂する規則(案)が公表されている。
5.企業年金におけるESG投資への取り組みについて
こうした、企業年金の資産運用規制を前提に、企業年金としてのESG投資の取り組み方について考えたいと思います。
第一に、運用機関に対するモニタリング機能の発揮が重要であると思います。企業年金の資産運用は委託運用が原則であり、いわゆる自家運用は極めて限定的です。他方で、我が国の資産運用機関はPRIの署名者であり、ESG投資を積極的に行っていくことを表明、標榜しています。企業年金の皆さんが投資されている各運用機関の商品の投資プロセスには何らかの形で、ESG要素の評価、検討が組み入れられています。実際には、企業年金の皆さんは運用機関の運用商品を通じてESG投資にコミットされていると思われます。
従って、定期的な運用説明会などの運用機関とのミーティングの際には
- A:運用機関としてのESG投資への考え方とその具体的な取組の状況
- B:当社(当基金)投資商品の運用プロセスにおけるESG投資の手法※8
- C:そのESG投資手法がその運用商品のリスク・リターン特性に与えている影響等の確認を行ったうえで
- D:A~Cの確認事項の関係各部門、資産運用委員会等への報告と情報共有
- E:これらの投資行動について、代議員会、加入者等に対する必要な報告
を進めることがまず重要ではないかと考えます。
また、こうしたモニタリング機能を発揮することは、企業年金制度を管理、運用する事務局の皆さんの大切な役割であり、「運用ガイドライン」や「SSコード」において、企業年金の皆さんに期待されていることでもあります。
第二に、既存の商品に加えて、ESG投資商品を新規採用するということが考えられます。
この場合には、上記のA~CのESG投資の確認を行うだけでなく、その商品のリスク・リターン実績、その運用の再現性の確認と検証など、他の新規運用商品採用時に行う検討と同様のプロセスが必要になります。
第三に、一歩進んで、ESG商品を継続的に採用する場合には、運用の基本方針に年金ポートフォリオにおけるESG投資への考え方やその位置づけ、投資対象資産等についても記載しておく必要があると考えられます。
※8:GSIAはサスティナブル(ESG)投資を[1]ESGインテグレーション[2]エンゲージメント[3]一定の規範によるスクリーニング[4]ネガティブ・スクリーニング[5]ポジティブ・スクリーニング[6]サスティナビリティ・テーマ投資[7]インパクト投資の7類型に区分している。
おわりに
グローバルに経済・社会のサスティナブルな発展が求められる中で、金融の果たすべき役割への期待が高まっています。資産運用の分野でもESG要素を考慮した投資が主流となりつつあります。企業年金も60兆円を超える資金を運用する機関投資家として、その役割の一端を担うことが期待されています。
他方で、ESG投資自体の意義は理解しつつも、ESG要素の考慮が収益につながるのかという疑問は、資産運用の現場において依然大きな課題であり続けています。残念ながら、ESG要素の考慮がリスク・リターンの改善につながるという実証研究はなされていないのが実情です。また、ESG投資商品が急増、乱立する一方で、金融商品のグリーン・ウオッシュも問題※9となるなど、個別の運用商品の選択は必ずしも容易ではありません。
さらに、これまで「脱石炭」はESG投資のメインストリームでしたが、ウクライナ危機はエネルギーをはじめとする安全保障上の問いを我々に投げかけています。このように、ESG投資には、個々の投資主体が判断するには手に余る課題も少なくありません。
加えて、ESG投資は理念先行で、現実的な課題が置き去りになりがちな傾向も否定できません。他方で、個々の投資商品の適否は、資産運用の現場にその判断が委ねられており、投資判断の際の現場の負荷は決して小さくありません。
企業年金の皆さんには、ESG投資を取り巻く状況や様々な課題を理解したうえで、現在、投資している運用商品にどのようにESG要素が考慮されているかのモニタリングを行うことが重要であると思います。さらに、運用機関とのコミュニケーションを通じて、ESG商品の年金ポートフォリオへの影響についての検証、ESG投資への取組み方針の検討を進めていくことが期待されているのではないかと思います。
こうした、ESG投資をはじめとする、企業年金の資産運用の様々な課題について、IICPの年金コンサルティング部門がお役に立てればと存じます。企業年金の皆様から忌憚なくご相談いただけましたら幸いです。
※9:環境に配慮しているように偽装する行為をいい、各国で金融商品のグリーン・ウオッシュを排除する規制の検討が進められている。
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※当コラムには、執筆した弊社コンサルタントの個人的見解も含まれております。あらかじめご了承ください。
この記事を書いた人 取締役 公益社団法人日本証券アナリスト協会認定アナリスト(CMA) 矢部 信 |
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1977年に一橋大学社会学部を卒業。 日本債券信用銀行に入行、法人営業などのほか、債券運用を中心に銀行の証券業務に長期に亘り携わることができました。その後、1999年から東京海上アセットマネジメント投信に転職、企業年金・公的年金のクライアントサービスなどの業務に従事し、2014年から厚生労働省年金局企業年金・個人年金課で企業年金資産運用専門官として勤務しました。 2019年4月より公益財団法人年金シニアプラン総合研究機構特任研究員、同年6月から株式会社IICパートナーズ顧問、2020年9月からIICパートナーズ取締役を務めております。 |