数理計算上の差異の発生要因とは
原則法で退職給付債務を計算する場合、計算基礎率という一定の前提を置いて計算を行います。しかし、これはあくまで予測値ですので、期末時点の実績値の間でズレが生じます。
これは、退職給付会計上は「数理計算上の差異」として処理されますが、単に「数理計算上の差異」と言っても、様々な要因から生じております。
今回のコラムでは若干(?)マニアックながらも、どのような個所から数理計算上の差異が生じているのか解説を行います。
目次
新規の在籍者、昇給の予定と実績
「数理計算上の差異」の発生要因については、まず大きく2つに分けることが出来ます。
1.年間の予定と実績の差によるもの
計算基礎率で見込んでいた予測値と年間の実績値が乖離することにより生じるもので、毎年度必ず発生する差異です。
こちらについては多くの要因が存在し、代表的なものとしては以下のものが挙げられます。
(1) 新規の在職者による差
退職給付会計において退職給付費用として計上しているのは、前回の決算日における在職者・受給権者に関するものだけです。そのため、前回の決算日には存在せず、今回の決算日に新規に発生した在職者の退職給付債務については「数理計算上の差異」の発生要因となります。
ただし、新規の在籍者については給付額算定用の期間を高々1年しか保有していないはずですので、影響額としては限定的と言えます。
しかし、特殊な事情により過去期間を通算して、かつ過去期間に相当する給付額の受入がないような新規の在籍者が発生した場合には、比較的大きな影響が発生します。
(2) 昇給の予定と実績の差
退職給付債務の計算は、計算基準日以降、退職金算定用給与(以下、単に給与と記載します)が予想昇給率通りに推移するという前提で行われます。そのため、予想昇給率と実際の昇給率が異なる場合には「数理計算上の差異」が発生します。
給与の変動は退職給付見込額の変動に直結するため、例えば基準日時点の給与が当初の予測値を上回った(下回った)場合に、退職給付債務が理論値よりも増加(減少)する、というのは直感的に理解しやすいのではないかと思います。
しかし、給与の変動がどの程度退職給付債務の変動に影響を与えるのか、という点については退職給付制度によって異なります。大きく2つのパターンに分けて分類すると、以下のようになります。
A) 最終給与比例制の場合
給付額が
退職時の給与×支給率×退職事由別乗率
という形で算定される、いわゆる「最終給与比例制」の場合、この影響が比較的大きくなると言われます。
これは、先に記載した「計算基準日以降、給与が予想昇給率通りに推移するという前提」で退職給付債務の計算を行うことに起因します。
将来の給与の推移は計算基準日時点の給与を基準として見込むため、基準日時点の給与が当初の予測値を上回った(下回った)場合、将来の給与の見込みは当初の予定よりも上回り(下回り)続ける、ひいては将来の給付見込額が当初の予定よりも常に大きく(小さく)なることを意味します。
退職給付債務は、将来の給付見込額のうち現在までに帰属するものの現在価値ですので、上述の給付見込額の変動の影響を受け、退職給付債務が比較的大きく変動することになります。
B) ポイント制、キャッシュバランスプランの場合
一般的に、給付額が
退職時のポイント累計額×退職事由別乗率
退職時の仮想個人勘定残高×退職事由別乗率
という形で算定される、いわゆる「ポイント制」「キャッシュバランスプラン」の場合、A)と比較して影響は限定的になります。
これらの制度の場合、将来の給与の推移は計算基準日以降に累計額に繰り入れる付与額にのみ影響します。
これは、将来の給付見込額全体に対して影響を与えるA)と比較して、今後繰り入れる累計額に対応する給付見込額にのみ影響が及ぶことを意味しますので、A)と比較して影響が限定的であるということが言えます。
なお、この差異は債務を計算する際に将来の累計額への繰り入れを見込む場合にのみ発生します。
したがって、期間帰属方法として将来の累計額への繰り入れを見込まない「給付算定式基準(将来のポイント累計(拠出付与額)を織り込まない)」を採用している場合には影響が出てきません。
上記の内容をまとめると、以下の通りです。
予想昇給率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動※ |
---|---|
予定>実績 | 減少 |
予定<実績 | 増加 |
※最終給与比例制の場合、変動が大きくなる傾向にあります。一方、ポイント制やキャッシュバランスプランの場合、変動は限定的となります。(帰属方法によっては変動しません)
退職・死亡・一時金選択率の予定と実績
(3) 退職の予定と実績の差
予想昇給率と同様、計算基準日以降に退職率通りの退職が行われるという前提で退職給付債務は計算されています。
そのため、退職の予定と実績の差により「数理計算上の差異」が発生しますが、退職率に関しては実際に退職した方の年齢・給与や制度内容に依存する部分が多く、予想昇給率のように一律の方向性を示すことは困難です。
しかし、一般的な傾向として、我が国の退職給付制度では定年退職時の給付が最も手厚くなっている場合が多く、定年で退職した際の給付見込額の影響を受けやすいと考えられます。
仮に実際の退職が予想を上回った(下回った)場合、それは定年までの到達確率の減少(増加)を意味するため、以下の通り債務を変動させると言えます。
退職率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動※ |
---|---|
予定>実績 | 増加 |
予定<実績 | 減少 |
※一般的な傾向として記載
(4) 死亡の予定と実績の差
(3) 退職の予定と実績の差と同様の理由により発生します。
しかし、一般的に在職中の死亡という事象は発生頻度が低く、かつ計算に一般的に用いられる死亡率も低い水準のものとなっていることが多いため、殆どの場合は軽微な変動を及ぼすのみです。
しかし、終身年金の受給権者に限ると、比較的死亡率の高い年齢となっていることが多く、かつ死亡の発生が今後の給付の有無に直結するということもあり、大きく影響を受けやすい箇所となります。
終身年金の受給権者に関して影響をまとめると以下の通りです。
死亡率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動※ |
---|---|
予定>実績 | 増加 |
予定<実績 | 減少 |
この影響は年金受給権者の人数が多ければ多いほど大きくなりますので、終身年金を支給する成熟度の高い制度を保有する場合、注意が必要となります。
なお、改正後の日本基準においては将来の死亡率の改善を合理的に見込むことができ、かつ重要性が高いと判断される場合には、当該改善を織り込んだ死亡率を計算基礎率として用いることも出来ます。
このような改善を織り込んだ死亡率を計算基礎率として設定することで、毎年の「数理計算上の差異」の発生額を抑制することが出来ると考えられます。
(5) 一時金選択率の予定と実績の差(年金制度の場合のみ)
確定給付型の年金制度の場合、年金受給資格を満たした退職者に関しては、年金としての支給・一時金としての支給という2つの選択肢が与えられていることが一般的です。
このような制度の場合、計算基準日以降に一時金を選択する確率を計算基礎率として設定しますので、一時金選択の予定と実績の差により「数理計算上の差異」が発生します。
これは、年金として評価した場合の退職給付債務と、一時金として評価した退職給付債務に差異があることに起因します。詳細は割愛しますが、年金額算定に用いる給付利率と割引率の大小関係によりこの差異は生じ、給付利率が割引率を上回る(下回る)場合には、年金として評価した退職給付債務が一時金として評価した退職給付債務より大きく(小さく)なります。
上記の内容をまとめると、以下の通りです。
給付利率>割引率の場合
一時金選択率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動 |
---|---|
予定>実績 | 増加 |
予定<実績 | 減少 |
給付利率<割引率の場合
一時金選択率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動 |
---|---|
予定>実績 | 減少 |
予定<実績 | 増加 |
なお、上記の説明は「単一の加重平均割引率」を用いているという前提で記載しております。
「複数の割引率」を用いている場合、退職した年数における割引率と給付利率の大小関係により変動することになるので、一概に分析することは難しくなります。
予想再評価率・長期期待運用収益率の予定と実績等
(6) 予想再評価率の予定と実績の差(キャッシュバランスプランの場合のみ)
キャッシュバランスプランの場合、計算基準日以降に加入者や待期者の仮想個人勘定残高に付利される率や、仮想個人勘定残高の年金化に用いる率を計算基礎率として設定します。
計算基礎率として設定した予想再評価率と実際の再評価率との大小関係により、以下の通り差異が生じます。
予想再評価率の大小関係 | 理論値と比較した債務の変動 |
---|---|
予定>実績 | 減少 |
予定<実績 | 増加 |
(7) 長期期待運用収益率の予定と実績の差(年金制度の場合のみ)
確定給付型の年金制度の場合に計上する、年金資産から1年間に得られるであろう収益率と実際の運用成果の差により生じます。
こちらに関しては直感的にも分かりやすく、予定を上回る(下回る)収益率を得た場合には年金資産を予定よりも増加(減少)させることになります。
長期期待運用収益率の大小関係 | 理論値と比較した年金資産の変動 |
---|---|
予定>実績 | 減少 |
予定<実績 | 増加 |
考え方としては理解しやすいですが、近年のボラティリティの大きい運用環境においては、非常に影響の出やすい箇所とも言えます。
(8) その他
上記以外の要因として、ポイント制・キャッシュバランスプランにおける1年間の付与予定額(キャッシュバランスプランの場合は再評価以外の部分)と実際の付与額の差や、計算上一定の期間を加算または控除している場合における当該期間の変動による差等が考えられますが、影響としては限定的であると考えられます。
2.計算基礎率の見直しによるもの
割引率以外の計算基礎率については毎年または一定年度毎に、割引率については毎年見直す※必要があります。
この見直しによる退職給付債務の変動に関しても「数理計算上の差異」の構成要素となります。
こちらについては計算基礎率を見直した年度にのみ発生する差異です。
※ただし、割引率に関して10%重要性基準を採用している場合には見直しが不要な場合もあります。
各基礎率に関する説明は1.と重複する部分があるため割愛いたします。影響を一覧としてまとめると以下の通りです。
計算基礎率 | 変動 | 債務の変動 |
---|---|---|
割引率 | 上昇 | 減少 |
低下 | 増加 | |
予想昇給率 | (傾きの)上昇 | 増加 |
(傾きの)低下 | 減少 | |
退職率・死亡率 | 上昇 | 減少 |
低下 | 増加 | |
一時金選択率 | 上昇 | 減少 |
低下 | 増加 | |
予想再評価率 | 上昇 | 増加 |
低下 | 減少 |
※一時金選択率については、給付利率>割引率の前提で記載しております。
※当コラムには、執筆した弊社コンサルタントの個人的見解も含まれております。あらかじめご了承ください。
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